ツイッターで流れてくる機械学習系の論文の大群を眺めて、どうにかして最新の議論に追いつきたいという焦燥感に駆られることがある。大学院時代、GoogleのAlphaGoが世間を賑わせていたくらいの頃に、まさにこんな心理状態だった。
この状況をなんとか過ごすなかで、専門外の"最新"の話題を追いかける時の心得を学んだ。タイムラインで発見している時点で、数ヶ月から二年くらいは既に遅れている、という事実。arXivに論文が掲載された翌日翌週には、さらに高精度な改善手法が提案されている世界である。SNSで読んでいるそれは、流れが速すぎるこの業界においてはすでに過去の産物になっている可能性もある。何光年も離れた星から地球に到達した僅かな光を一生懸命に観測しているように。たったいま理解して感動した手法はすでに無くなっていて、その場所には新しい発明が生まれているかもしれない。
今日のGPT-3の大波も当時によく似ている。ここで下手に焦ってはいけない。今回はさらに事態が悪化しかねない。これまで以上に超絶に興味があり、上手いことやれば面白いものを作り出せる環境に身を置いており、基礎的な勉強をしてしまったばっかりに仕組みや発展の可能性を少し考察できてしまう、というトリプルパンチ。のめり込みすぎず、客観視できる余裕を意識的に持ちたいものだ。
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天体観測といえば、アイドルの追っかけでも通じるものを感じる。推しメンや推しグループを初期から推せていることは珍しくて、卒業間近で魅力に気付き、過去の映像作品を遡って鑑賞しながら最後の数ヶ月だけを全力で応援することも経験してきた。発見が遅れて卒業後にYouTubeで知って後悔することもよくある。ちょっと前までそこで輝いていた存在なのにいまはもう見れない、儚い世界である。